審判1

不義に溺れ生きるものは災いなり
あなたは不義により
自らを裁くことになるだろう。

義に身を投じ生きるものは幸いなり
あなたは義により
自らを救うものとなるだろう。

義の報酬は魂の救いであり
不義の報酬は魂の死である。

審判とは、
神が行うものではなく
あなた自らが行うものである。

義なる人の種は、善い実を結び
不義なる人の種は、悪い実を結ぶ。

審判の日には、
人はその実に対して
言い開きをしなければならないであろう。

あなたは自分の実によって
正しいとされ
また、自分の実によって
罪ありとされるからである。

審判とは
自らが蒔いた種が実を結ぶことである。