魔性の克服1
人は、神性を求めながらも
異なる魔性に支配されながら
生きている。
人は、魔性から解放されることなく
自ら神の光を輝かせることはできない。
それでは魔性から解放されるとは
どのようなことだろうか。
魔性に支配されるとは
罪穢れに支配されることであるが
罪穢れとは何であろうか。
罪とは、
字のごとく、四つの非なるもの
四つの穢れ(魔性)を指している。
1つ目の穢れは
人は誰もが自己欲の穢れを有している。
人はヤハウェのごとくに
親の立場で人を愛せない
ということである。
魔性が自己中心の愛ならば
神性は自らの欲を超えた
無償の愛であろう。
2つ目の穢れは
自らの非を認めず
他に責任を転嫁することである。
人は素直に自分の非を認めようとはせず
それどころか
他に責任の所在を押し付けようとする
穢れを持っている。
原因は、
素直になれないところにあるが
その本質は
自己中心欲の穢れであろう。
3つ目の穢れは
人は自分よりも優れた神性を
素直に認めようとはせず
それどころか否定しようとさえする。
人は、自分の範疇にある存在は
愛することができるが
それを超えた存在を
素直に認め愛することはできず
支配さえしようとする
穢れを持っている。
この本質も
自己中心欲からきているものである。
4つ目の穢れは
人は善を繁殖する以上に
悪を繁殖する穢れを持っている。
善い噂よりも
悪い噂の方が繁殖しやすい。
これは人の中に悪を喜び繁殖する
穢れがあるということである。
人は、善の繁殖に
努力する必要があるということである。
四つの非なる魔性が
人の遺伝子には刻まれている
ということであり
この魔性の克服こそが
人間本来の神性と真の愛を
取り戻して行く
カルマ解消への道程でありましょう。