父系イスラエル民族の霊的中心である法皇系霊団の頂点に巣食う魔界の温床として、バチカンと修道院があげられます。
男性中心のバチカンと女性中心の修道院が互いに生涯独身を貫く理由は、人類始祖の堕落により穢された性の問題をこれ以上穢さないためでした。
しかし神ルシエルを悪魔サタンとする聖書観だけでは魔界を越えることは出来ないのです。
彼らが2000年も独身を貫いていることは素晴らしい信条であるのですが、人類始祖の堕落の問題は、性に問題があるのではなく、神ヤハウェの戒めを破りヤハウェの懐から離れて神聖なる性を穢してしまったことにあるのです。
ですから神ヤハウェのふところに帰還し、不動の神の子としてヤハウェの慈愛の中で成長進化しませんと、性に纏わりつく魔界の呪縛から解放されません。もともと性は神ヤハウェから付与された創造性の原点なのです。
バチカンと修道院に魔界が侵入するとは、彼らの信仰が地に落ちたという証でもあるのです。バチカンでは子供たちに対するあまりにも悍ましい出来事が起こっていますが、父系イスラエル系のカルマ清算を担う神の子たちは素直にこの事実を受け止め、バチカンと修道院に神ヤハウェへの帰還を執り成すために祈るべきでしょう。
但し魔界を治める不動の神の子として立っていなければ、自らゆえに魔界に侵入されることになります。不動の神の子であるか否かを魔界に試されることになるでしょう。
宇宙経綸は、魔界を治める不動の神の子でなければ担うことは出来ません。
「審判は神の宮からはじまる」とはこのことなのです。