審判の7年期間が始まっていますが、社会現象として現れる前に神の子たちの周りに現象化してまいります。皆さんの心情に隙間がなければ何事もなく通り過ぎますが、隙間があればそこで必要に応じた大小の禊が起こるのです。モーセによる“出エジプト”時に起きた 過越すぎこし のような現象です。

ここで問題なのは、審判の7年期間の始まりと共に神の子も試練を受けるということです。
ヤハウェとの隙間がなく、神意に適う動きをしているのであれば全く問題ありませんが、隙間があればそこから魔が入り、禊と言う形で邪魔をするのです。

審判は神の子から例外なく始まっているということです。

神ヤハウェとの隙間を埋める神意に適う自らであれば全く問題はなく、逆に魔界がサポートし守りに入る真の神の子となるのです。

過越しとは————
イスラエル人は、エジプトに避難したヨセフの時代以降の長い期間の間に、奴隷として虐げられるようになっていた。神は、当時80歳になっていたモーセを民の指導者に任命して約束の地へと向かわせようとするが、ファラオがこれを妨害しようとする。そこで神は、エジプトに対して十の災いを臨ませる。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、戸口に子羊の血の印のない家にその災いを臨ませることをモーセに伝える。つまり、この名称は、戸口に印のあった家にはその災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来する。

Wikipedia「過越」より