魔界の支配領域の頂点にある成長の6.66段階を超えて、神界意識に転換する時、誰しもに起こる現象があります。これは、魔界から神界に意識を転換させまいと働く魔界と、魔界から神世に意識を転換させようと働く神々の試練でもあるのです。

自らの心に巧みに働く魔界を見破れないまま神の子宣言することは、魔界が許さないのであり、これはヤハウェと養父母神や守護神を初め神々の赦しの保護圏に護られているからこそ可能となる恩恵恩赦であることを忘れてはならないのです。

魔界の限界は、知識として善悪思考に留まることが出来ても、心では善悪の相剋意識を越えられない限界に留まることで、善悪を越えた無償の愛を行使できないことです。

だから、自らに働く魔界を治めることが出来ずして神の子宣言をすることは、魔界が許さず讒訴して来るのです。
だから心に働く魔を治めるために命懸けで難行苦行した即身仏や行者の多くは、結局のところ魔界を克服した人は残念ながらほとんどいないのです。だから生きて即身成仏する=神の子となることは奇跡であるのです。

覚りを開くとは、即ち魔界意識を超えて神の子意識に開眼することであり、ヤハウェや父母神の赦しの愛=慈愛に触れず難行苦行しても魔界を治めることはできないのです。

神無き善悪意識に留まる内は、自己正当化と責任転嫁の魔性を克服することは出来ないのであり、罪悪歴史の清算は、人間の力だけで成されるのではなくヤハウェを初め養父母神、守護神の無償の愛(赦しの慈愛)を心から感謝して受け入れずして解放されることは無いのです。

その意味では、罪悪歴史の清算を目指して理想郷の創建を唱えた東西の世界宗教は、ヤハウェを初めとした神々の愛に触れずして解放されることは無いのであり、そのためにもヤハウェの赦しの愛を無条件に素直に受け入れることから魔界領域から神界領域への入籍が成されるのであり、真の神の子としての出発が許されるのです。

そのためにもヤハウェの降臨と共に宗教は観念から卒業する時代を迎えているのであり、これからは具体的な理想郷建設を主軸に宗教統合の道も開かれて行くことになるでしょう。

感謝合掌